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東京地方裁判所 平成元年(ワ)11693号 判決 1993年2月18日

原告

松村紀昭

右訴訟代理人弁護士

羽柴駿

長島良成

被告

ヤマハ株式会社

右代表者代表取締役

川上浩

右訴訟代理人弁護士

青木一男

白石信明

関根修一

田中成志

右訴訟復代理人弁護士

内藤賢一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五六八九万三九四四円及びこれに対する昭和六一年三月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、スポーツ用品の製造及び販売その他を業とする株式会社である。

2  原告は、昭和五六年ころ、被告が製造・出荷したテニスシューズYTS580一足を購入した(以下、原告が購入した右テニスシューズを「本件靴」という。)。本件靴の靴底の材質には、ポリウレタンが用いられていた。ポリウレタンは、水と結合すると、化学反応を起こして材質がもろくなることがある(この現象を加水分解という。)。

3  原告は、昭和十七年生まれの男性であるところ、同六〇年八月二五日、山梨県南都留郡<番地略>所在の「ホテル・サムソン山中湖」のテニスコートにおいて、本件靴を履いてテニスをしたが、同日の午後三時ころの休憩時間に、近くの遊動円木に乗って遊び、たまたま、約七〇センチメートル下のアスファルト舗装面へ飛び下り右足から着地したところ、突然、本件靴の右足の靴底(以下「本件靴底」という。)が靴上部本体との接合部分に沿って剥がれた。これは、本件靴底が加水分解によって劣化していたところ、飛び下りた際の衝撃によって、一気に剥離したからである。本件靴底が剥がれたため、右足が滑り、着地点から斜め左前方向へ靴幅一足位ずれ、爪先が鉛筆一本分位上がった状態で停止した。このため予期しない衝撃が足首部分にかかり、原告は、右踵骨を骨折した(以下、原告が遊動円木から落下して踵骨を骨折した事故を「本件事故」という。)。

4  テニスシューズは、激しい運動に際して用いられるので、靴底が劣化したテニスシューズを用いた場合、運動中の衝撃をテニスシューズが受け止められず、使用者が予期しない衝撃を受け、使用者の生命身体に危害が生じる危険性がある。被告が靴底の材質にポリウレタンを採用し本件靴を製造した当時、既にポリウレタンが加水分解によって劣化することは一般的に知られていた。すなわち、研究者の間では、昭和四一年以降、詳しい報告がされており、遅くとも、同五二年以降は、ポリウレタンが加水分解するものであり、その結果、使用に耐えないものになってしまうことは、周知の事実であった。したがって、被告は、ポリウレタンの加水分解によって右危険が発生することを予見することが可能だった。

そして、ポリウレタンは構造、添加剤や配合技術等によって耐加水分解性を向上させることが可能なので、被告は、消費者による使用方法、保管状況、使用期間等を幅広く想定し、汗や汚れ等の劣化促進因子も考慮した上で、一般に予想されるある程度長期間の使用に耐えられるよう、ポリウレタンの耐加水分解性を備えるべき義務があった。

5  また、ポリウレタンの耐加水分解性が不十分なまま本件靴を製造・出荷するのであれば、被告は、消費者に対し、注意書の添付等によって、加水分解による靴底の劣化の可能性及び前記危険の存在を警告し、製造後の使用有効期間やどのような状態になったら使用すべきでないかを説明すべき義務があった。

6  特に被告は、昭和五九年一〇月ころ、被告がマレーシアに輸出したポリウレタンの靴底を用いたテニスシューズについて、靴底が劣化したとの報告を受け、同六〇年三月ころ、被告がシンガポールに輸出した同種のテニスシューズについて同様の報告を受けた。

右二事例の劣化が加水分解によることは明らかであった。したがって、被告は、少なくともこの時点で、同種のテニスシューズについて使用者の生命、身体に危害が生じる危険があることを予見することができた。

したがって、被告は、右テニスシューズを購入し使用している消費者に対し、ダイレクトメール、新聞広告その他の手段により、加水分解による靴底の劣化の可能性及び前記危険の存在を警告し、製造後の使用有効期間やどのような状態になったら使用すべきでないかを説明すべき義務があった。

7  被告が右の義務を果たさず、漫然危険を放置したため、本件事故が発生し、このため、原告は以下の損害を被った。

(一) 原告は、本件事故による傷害を治療するため、東京警察病院に一六日間入院し、その後一〇日間通院した。

右のための費用は、治療費及び薬局代金一二万一三三五円、入院雑費一万九二〇〇円(一日一二〇〇円)、通院交通費九四〇〇円、入・通院時の原告の妻の付添費用一一万七〇〇〇円(一日四五〇〇円)である。

また、入・通院の慰謝料は五〇万円を下らない。

(二) 原告は、本件事故当時株式会社ケイ・アンド・モリタニと東洋エンタープライズ二社の役員をしており、その収入は、年俸一〇〇〇万円を下らなかった。原告は、本件事故により、昭和六〇年八月二六日から同六一年三月二四日までの七か月間職務に就くことができなかったから、右休業損害は五八三万三三三三円を下らない。

(三) 原告は、現在でも、踵骨内側の変形突出、同部の圧痛(特に寒冷・雨天・長時間立位時の痛み)に悩まされ、また、立位持続は一時間が限界であり、足関節運動傷害(和式トイレ使用や階段昇降が困難である)等の後遺症が持続している。右後遺症は、後遺障害別等級表第一〇の一一「下肢の三大関節の一に著しい障害を残すもの」に該当し、これによる労働能力喪失率は二七パーセントである。原告は、昭和六一年三月二五日時点で四四歳、就労可能残余年数は二三年であったから、後遺症による逸失利益を計算すると、四〇六二万一五〇〇円である。

さらに、後遺症に伴う慰謝料は四五〇万円である。

(四) 弁護士費用 五一七万二一七六円

原告は、被告が損害賠償請求に応じないので、やむを得ず、原告訴訟代理人弁護士に本件事件の処理を依頼したが、その報酬は損害額の一割を下らないとの約束である。

8  よって、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき五六八九万三九四四円及びこれに対する不法行為の後である昭和六一年三月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、被告が本件靴を製造・出荷した事実・本件靴の靴底にポリウレタンが使用されている事実、ポリウレタンが加水分解によって劣化する事実は認め、その余は不知。

3  同3のうち、原告が右踵骨を骨折した事実は認めるが、その余の事実は否認する。

原告の主張する本件事故の経緯は、本件靴底が全体として剥離したとか、そのため右足が滑って踵骨を骨折したなど、経験則上ありえないことであり、極めて不自然不合理である。

特に、加水分解によっては、ひびや亀裂が入るのが普通で、靴底が突然全体として剥離することはありえない。

なお、当時、原告からは、被告に対し、何のクレームもなかったし、病院の原告のカルテには「転落」と記載されている。原告は、遊動円木から飛び下りたのではなく、転落したものであり、その場合は、右踵骨を骨折してもおかしくない。

また、仮に、原告が遊動円木から飛び下り、その際本件靴底が剥離し、右足が滑ったとしても、踵骨骨折は最初に着地した際の衝撃によって起きたものであるから、本件靴底の剥離とは何ら関係がない。

4  同4のうち、テニスシューズが激しい運動を行うに際して用いられる事実は認め、その余は否認ないし争う。

被告が、一般論としてポリウレタンが加水分解することを知っていたとしても、当時、具体的に、ポリウレタンを使用したテニスシューズの靴底が時間の経過ごとにどのような状態となるかは知らず、予見もできなかったし、ポリウレタンの靴底が加水分解によって劣化する場合は、徐々に靴底の表面に亀裂が生じ、ブロック状に剥離していくから、使用者の生命、身体に危害が生じることはない。したがって、被告が右危険を予見できた可能性もない。

加水分解は、磨耗や破損と同様テニスシューズの劣化の一要因に過ぎないが、テニスシューズの耐用年数は二年程度なので、仮に購入後約五年を経過して起きた本件事故の際、本件靴底が加水分解により劣化していたからといって、通常備えるべき品質を欠いていたとはいえない。また、本件靴に使用されているポリウレタン原料は、当時の最先端の耐加水分解性を備えたものであり、価格や物理的強度等の諸条件に照らしても、靴底として最適の素材であったから、被告は、本件靴を製造するにあたって最善の注意義務を尽くしていた。

なお、昭和五六年から平成元年までに国内で出荷された被告のテニスシューズは一九九万五九七六足であるが、そのうち加水分解によるものと認識されたクレーム数は、二一三足(昭和六一年から平成元年まで)であり、約一万分の一というわずかな割合である。

5  同5の事実は否認ないし争う。

予見可能性がないことについては前項と同じ。

6  同6のうち、被告がマレーシア及びシンガポールに輸出したテニスシューズについて靴底が劣化したとの報告を受けた事実は認め、その余は否認ないし争う。

右は、日本国内の通常の保管条件とは著しく異なる高温・多湿の倉庫内で保管したときに起きた特異な事例についての報告なので、右報告から直ちに、ポリウレタンを用いた靴底が加水分解によって劣化するとは予見できない。また、加水分解が怪我の原因となったというような報告はなかったから、いずれにしても使用者に危害が生じると予見することはできない。

7  同7のうち、原告が、原告代理人を訴訟代理人として委任した事実は認め、その余は不知。

第三  証拠<省略>

理由

一本件事故の経緯(請求原因1ないし3について)

請求原因1の事実、同2のうち、被告が本件靴を製造・出荷した事実、本件靴の靴底にポリウレタンが使用されている事実、ポリウレタンが加水分解によって劣化する事実、同3のうち、原告が右踵骨を骨折した事実については、当事者間に争いがない。

1  右争いのない事実及び<書証番号略>、原告本人尋問の結果(一部)並びに弁論の全趣旨によれば、本件事故の経緯(但し、後に認定する部分を除く。)について、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和一七年生まれの男性で、身長一六一センチメートル、体重五八キログラムである。

(二)  原告は、同五六年六月頃、伊勢丹デパート内に出店していた株式会社レイ・テニス(以下「レイ・テニス」という。)から、本件靴を購入した。

(三)  原告は、同六〇年八月二五日、山梨県南都留郡<番地略>所在の「ホテル・サムソン山中湖」のテニスコートにおいて、本件靴を履いて友人達とテニスをした。なお、原告は、その前一〇日間、頻繁に本件靴を使用してテニスをしたが、その際、本件靴の靴底に亀裂や剥離等の異常は生じていなかった。原告は、当日の午後三時ころ、休憩している間に、友人(ヴオルフガング・パーペ)の三歳の子供をテニスコート付近にある遊動円木に乗せ、自分も立った状態でこれに乗って遊動円木を揺らして遊ばせていたところ、(何らかの原因によって)遊動円木から落下し、アスファルトの地面に着地した際に右足の踵骨を骨折した。右遊動円木は、直径約四〇センチメートル、長さ四メートルほどの円木を、木製支柱から、六三ないし七四センチメートルの高さ(地面から円木の上面までの距離、円木の太さにより異なる。)に吊ったものである。

(四)  原告は、同日のうちに、山梨赤十字病院において骨折はしていないとの診断を受けたものの、痛みがひどいので翌日帰京して東京警察病院の診察を受けたところ、踵骨骨折と診断され、入院し、手術を受けた。

(五)  原告は、昭和六三年夏ころになって、伊勢丹デパートと被告に対し、本件靴の靴底が剥離した旨を抗議した。もっとも、原告は、同六〇年四月ころから株式会社ケイ・アンド・モリタニの代表取締役に就任し、同社の破産手続を進めていたところ、同六一年四、五月ころ、破産管財人であった原告代理人長島良成弁護士に対し、本件事故について相談したことはあった。

なお、原告は、同六一年ころレイ・テニスに対して抗議したと供述するが、これを裏付けるに足りる証拠はなく、右供述は採用することができない。

2  遊動円木から落下するに至った経緯について

右について、原告は、「遊動円木の西側の端(最も高いところで、七四センチメートル)の方に立って、遊動円木が西側に向かってほぼ最大(約八〇センチメートル)に近い状態に揺れたとき、西斜め前方に向かって飛びおり、右足で着地した。」と供述し、<書証番号略>によると、本件訴訟提起前、被告に対してほぼ同様の訴えをしている事実が認められる。

しかし、<書証番号略>によると、山梨赤十字病院及び東京警察病院の診療録等には、本件事故の原因として「ブランコから転落した。」「ブランコから足をすべらせた。」等の記載が繰り返しみられ、したがって、原告は、本件事故直後、医師に対して遊動円木から任意に飛び下りたとは説明していないものと認められることに照らすと、にわかに採用することができない。

これについて、原告は、事故後診察を受けた医師に対して遊動円木から飛び下りた旨を説明したと供述し、また、<書証番号略>(平成二年九月八日付報告書)によると、東京警察病院において原告を診察した医師柴伸昌(以下「柴医師」という。)は、診察時に原告から遊動円木から意識的に降りようとした際の怪我だと聞いていたが、事故原因を書く記載欄が小さいため「転落」と記載したと述べていることが認められる。しかし、<書証番号略>(平成二年九月二六日付報告書)によると、柴医師は、その直後、訪問を受けた原告からの強い訴えで右のように報告したもので、当時、そのように聞いたかは記憶になく、患者本人(原告)が述べたことは、診療録に記載したとおりであり、原告の説明と踵骨骨折の症例のほとんどが転落であることから、当時、「転落」と判断していたと、右供述を訂正していることが認められ、また、<書証番号略>によると、東京警察病院の診療録等には、記載欄に特に制約がない場合にも「転落」と記載され、任意に飛び下りたとは記載されていないことが認められる。そして、後記のとおり、原告は、着地した際、本件靴底がほとんど剥離したというのであり、そのために踵骨骨折をしたという疑いを当時から持っていたと供述するところ、そのような、異常な状態が生じた場合は、これを医師に訴えるのが普通であると解されるのに、前記診療録等には全くその旨の記載がない。しかも、前記認定のとおり、昭和六三年夏ころまで、原告は、本件事故について、被告に抗議等をしたことはないこと、なお、任意に飛び下りることと転落とは全く言葉の意味が異なり、任意に飛び下りたと説明を受けながら「転落」と記載するとは通常考えられないことをも勘案すると、右原告の供述はにわかに採用することができないし、前掲<書証番号略>が採用できないことは、前述のとおりである。

3  靴底の剥離について

さらに、原告は、遊動円木から飛び下りて着地した時、本件靴底が剥離したと主張し、「遊動円木から飛び下りた時、本件靴の右足の靴底が爪先部分の一部を残して剥離した。剥離した靴底は爪先部分で靴本体に接続し、ぶらぶらしていた。」と供述するので、この点についても、併せて検討する。

<書証番号略>証人横山哲夫(以下「証人横山」という。)の証言並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一)  本件靴の構造

本件靴の靴底の材質は、ポリウレタンである。ポリウレタンは、多くのウレタン結合によって繋がれた長い分子鎖が網目のように絡まっている構造を持ち、引張りや圧縮、剪断の力に対して強度が高いため、靴底の材質に適する。ポリウレタンには、配合する物質によって様々な種類があるが、本件靴に用いられたポリウレタンは、ポリエステルポリオール、ジフェニルメタンジイソシアネート、エチレングリコールを配合したものである。

また、弾力性を高めるために、ポリウレタンを本件靴の靴底に成型するのと同時に内部を発泡させ、無数の気泡が作られている。ただし、靴底の表面には、気泡はなく、閉じられた面となっている。また、気泡は全体に平均した大きさである。

右ポリウレタンは、当時、国内において、広く靴メーカーに採用されていた。

(二)  加水分解の過程

ポリウレタンの加水分解とは、本件靴の靴底に用いられた材質のようにポリエステルポリオールを配合したポリウレタンにおいて生じる現象である。ポリエステルポリオールは、分子量五〇〇から三〇〇〇の高分子化合物であり、分子間はエステル結合によって繋がれているが、このエステル結合が、水と反応してカルボキシル基と水酸基に分解され、分子が切断される。加水分解が進行すると、網目のように絡まった分子鎖が縦横に切断され、ポリウレタンの材質がもろくなる。

加水分解は、ポリウレタンを空気中に放置しているだけでも発生する可能性があるが、特に、酸やアルカリが触媒になる。加水分解が一部に生じると、この加水分解の過程自体において触媒が発生するため、以後、加水分解が自動促進的に進行し、徐々に周囲に広がっていく。

靴底のポリウレタンが加水分解によって劣化した場合、靴底に亀裂が生じたり、そのまま靴を使用すると靴底の一部が剥離したりすることがある。

(三)  本件靴の現状等

本件靴は、本件事故後、昭和六三年一二月中旬ころからは、鉄筋コンクリートビル内の空調設備の整った弁護士事務所内で保管されていたが、現在、本件靴底は、本体部分との接着面から僅かに一ないし二ミリメートルの厚みを残して水平に割ったように全体が剥離しており、僅かに残留している靴底についても、平成四年六月一日の時点では、材質の強度が完全に失われており、右は加水分解の進行によるものである。なお、本件靴の左足底も半分が剥離し、同様、加水分解がみられる。

そして、長崎大学工学部材料工学科教授でポリウレタンの研究に詳しい証人横山は、その私的な鑑定書(<書証番号略>、以下「私的鑑定」という。)において、右保管状況は加水分解が顕著に進行する環境ではないから、本件事故当時も現在(平成三年一二月)とほぼ同程度に加水分解が進行していたと推定できると述べ、また、右に沿う供述をする。しかし、右横山の意見は必ずしも十分根拠が説明されたものでない上、本件事故から右時点までは六年以上経過していること、前記認定のとおり、いったん加水分解が発生すると自動促進的に進行すること、本件事故後昭和六三年一二月に至るまでの本件靴の保管状況が明らかでないことに照らすと、本件靴底について本件事故当時も現在と同程度に加水分解が進行していたと直ちに認めることは、困難である。

これに加えて、<書証番号略>によると、原告は、本件訴訟提起前被告に対し本件事故の状況を説明した際、「靴底全体が剥離し、靴底の大きさの一枚の板状で落ちていた。」と述べている等、前記原告の供述には全般に記憶が曖昧なところがあり、また、前記認定のとおり、原告は本件事故後昭和六三年に至るまで本件靴について被告に対して何ら明確な抗議を行っていないことに照らすと、原告の前記供述はにわかに採用することができない。

なお、<書証番号略>及び証人横山の証言によると、靴底がブロック状に全体として剥離する原因は、①靴底と靴本体との接着強度が不十分な場合(接着破壊)、②靴底が全体として加水分解により劣化している場合(材料破壊)、③この両者の原因が組合わさっている場合であると認められる。ところで、前記認定のとおり、本件靴底は、本体部分との接着面から靴底が剥離しているのではなく、靴底がわずかではあるが、その厚みを残して剥離しているから、①、③の原因はあたらない。

また、②の原因については、前記認定のとおり、本件事故当時、本件靴底全体がブロック状に剥離するほど加水分解によって劣化していたとは直ちにいえない。前記認定のとおり、本件靴は、少なくとも本件事故前一〇日間、頻繁に使用されていながら靴底に亀裂や剥離等の異常が全く生じていなかったことが明らかである。私的鑑定には、「事故直後の剥離した靴底及び剥離した界面の状況が不明であるので、判断は困難であるが、事故の直前に異常を感じない可能性は、前記①③の方が高い。」旨の記載があり、証人横山は、同様の供述をするが、前記判断に照らし、直ちに採用することができない。

また、原告は、汗が触媒となること及び靴底が表面より内部が水分に接しやすい構造となっていることから、本件靴底は表面よりも内部の方が加水分解が進行しており、そのため本件事故前には異常が認められなかったとも主張し、<書証番号略>には、一部これに沿う記載がある。しかし、前記認定のとおり、本件靴底が表面より内部が水分に接しやすい構造だったとは認められず、<書証番号略>にも、右記載内容を否定する記載があることからみて、右主張も理由がない。

したがって、いずれにせよ、本件事故において本件靴底が突如ブロック状に全体として剥離したとか、それが、ポリウレタンの加水分解による劣化によるものであると認めることは困難であるといわざるをえない。

4  踵骨骨折の原因について

<書証番号略>によれば、以下の事実が認められる。

(一)  踵骨は、踵部分に位置し、歩行時に接地して体重を支える足根骨中最大の骨であり、上方で距骨(下腿骨との連結を営む骨)と関節を作り、後方にアキレス腱が付着する。

踵骨骨折の主な原因は、高所からの転落や飛び下りであり、地面から踵に対する反力と、距骨からの応力により圧迫されて骨折に至る場合が多い。

本件事故において原告が被った踵骨骨折をみると、踵骨の外側半分の部分が陥没し、内側半分と外側半分が裂け、外側半分が距骨及び内側半分と離開し、外側に向かって曲がっている。このような骨折の形態は、踵骨骨折においてよくみられ、後距踵関節面(三つある距骨と踵骨との関節面のうちのひとつ)が強い圧迫を受けた場合に、後距踵関節面の下部の骨のうち外側半分が内側半分よりももろいため、外側半分だけが陥没し、外側半分と内側半分との間に剪断力が生じて裂けることによって生じる。

(二)  原告は、骨粗しょう症(骨が異常に細くなる病気)で、また、右大腿骨頭部にはペルテス病の後遺症が認められ、このため右下肢の骨の強度は、左下肢よりも弱くなっている。これらの素因により、原告の右下肢の骨は、その程度はともかくとして、通常人よりも骨折しやすくなっている。

(三)  人間が高所から落下して着地する場合、身体は、床面又は地面に対し重力による衝撃力を与え、この反作用として、床面又は地面から衝撃力を受けるが、落下する際、下肢関節の屈曲運動によって床面又は地面から受ける衝撃を調節する。人間が意識的に飛び下りる場合には、膝関節を少し屈曲し、足関節は少し伸展した状態で接地するため、衝撃力は減殺されるが、無意識に転落する場合には、このような屈曲運動を行う余裕がないため、より強い衝撃を受ける。膝関節も足首も意識せずに着地した場合には、膝関節を大きく曲げ、かつ爪先から先に着地するように意識して着地した場合に比べ1.5倍近い衝撃を受けるとの研究結果がある。なお、シューズを履くことによる緩衝機能は、せいぜい六パーセントであるとの報告がある。

ところで、原告は、「着地した際、右足が靴底が剥離したために滑り、着地した地点より左方向に靴幅一足分位ずれた。また、このとき、踵部分は剥離した靴底を残して靴本体部分が左側にずれ、爪先部分の靴底は残っていたので、踵部分と爪先部分とで鉛筆一本分位の段差が生じた。このように右足が滑って、止まってからズキンという痛みが生じ、右足が内側にねじれた。」と供述し、踵骨骨折の原因は、着地時に本件靴底が剥離して右足が滑ったことによって着地点がずれ、着地の際に地面から受ける衝撃が予期外の衝撃となったことにあると主張する。

そして、<書証番号略>によると、柴医師は、靴底がずれて足が滑るなどして着地時の衝撃が踵骨に過大に加わる場合、踵骨骨折をしうるという意見を述べている。

しかし、<書証番号略>によると、柴医師は、その直後、右は、説明が不十分であって、仮に靴底がずれたとすれば、着地の瞬時に地面から突き上げる力が靴底を押し出した後、踵骨に衝撃を与えたものと考えられ、足が滑ったり、靴底がずれる等して踵骨骨折が生じることはないし、そのような症例を聞いたことはないと右意見を訂正している。また、前記認定のとおり、落下した身体が地面から受ける衝撃は、着地した瞬時に身体が地面に与えた衝撃の反作用として、着地した瞬時に加わるものであることに照らすと、着地の際地面から受ける衝撃が、着地した後に左足が滑ったことによって「予期しない衝撃」になるとは容易に考えられない。

そして、<書証番号略>によると、保健衛生大学医学部整形外科客員教授で医学博士の医師小川正三(以下「小川医師」という。)は、原告の前記診療録等及びレントゲン写真をみて、本件踵骨骨折の原因は、遊動円木から転落して着地した際、地面から受けた衝撃によるものであり、足が滑ったり、足首をねじったことが原因ではないとの意見を述べており、前記認定のとおり、右のような原因が踵骨骨折の典型的な原因であること、転落した場合には意識的に飛び下りた場合よりも相当強い衝撃を受けることや前記認定の遊動円木の高さ及び原告の供述する揺れの程度を前提とすると、そこから落下した場合に、相当の衝撃を受けるものと考えられることに加えて、原告が骨折しやすい体質であったことをも併せ考慮すると、本件の踵骨骨折は、原告が着地した瞬間に地面から受けた衝撃力自体によって生じた可能性が高いものと認められる。

以上によると、原告の主張する踵骨骨折の原因は、いずれにせよたやすく採用することができないし、仮に、着地の際本件靴底が剥離し、右足が滑ったことがあったとしても、それと踵骨骨折との間に因果関係があるということもできない。

なお、原告は、当初、右足が滑ってねじれたこと自体による衝撃によって骨折したかのような主張もし、<書証番号略>には、これに沿うような記載があるが、前述のとおりであって、他に足が滑ったりねじれたりすることが踵骨骨折の原因となることを認めるに足りる証拠はない。

以上によれば、いずれの観点からみても、請求原因3の事実を認めることは困難である。

二したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。

なお、念のため、請求原因4ないし6の予見可能性等についても判断する。

1  製造時の予見可能性について

テニスシューズが激しい運動に際して用いられる事実については、当事者間に争いがない。

また、<書証番号略>、証人横山の証言並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ポリウレタンは、昭和三〇年ころより我国で製造され、昭和三〇年後半ころから、内外でポリウレタンが加水分解によって劣化することを論じた論文等が出されており、また、昭和五二年ころには、ポリウレタン系合成皮革を用いた家具について、ポリウレタンの加水分解によって素材が劣化する問題が新聞等で話題になったことがある。

右に照らすと、被告は、本件靴を製造した当時、ポリウレタンが加水分解によって劣化すること自体は知り得べき状況にあったもので、一般的にこれを用いた靴底の強度が低下することは予見できたと認められる。

しかし、そもそもテニスシューズは、一定の期間において消耗することを予定された商品であり、使用者としてもテニスシューズの状態に注意を払いつつ使用すべきものであるから、加水分解によって劣化することが予見されるといっても、この劣化が通常テニスシューズの劣化として予定される範囲に止まる以上は、被告に直ちにこれを防止すべき義務が生じるとはいえない。原告が主張するように、被告が、加水分解による劣化を防止したり、警告したりすべきであるというためには、通常の劣化の程度を超えて、骨折等人身事故の危険が生じることを具体的に予見できるといえなくてはならない。

しかし、本件で原告が主張しているように、揺れた状態の高所から飛び下りた結果、靴底全体が突然剥離し、これによって足が滑って踵骨骨折に至るというようなことは(仮にあるとしても、)極めて稀な事例と考えられるから、一般的に靴底の強度が低下するという事実から当然予見できるものとはいえず、他に、具体的な危険が生じることを予見すべき事情を裏付けるに足りる証拠はない。

2  製造後の予見可能性について

被告がマレーシア及びシンガポールに輸出したテニスシューズについて靴底が劣化したとの報告を受けた事実については、当事者間に争いがなく、右争いのない事実、<書証番号略>によると、被告は、本件靴製造後、昭和五九年一〇月ころ、マレーシアに輸出したポリウレタンの靴底を用いたテニスシューズについて、靴底に亀裂が生じたという報告を受け、加水分解による劣化の事例と認識されたこと、また、昭和六〇年ころ、シンガポールに輸出したテニスシューズについて、同様の報告を受けた事実が認められ、したがって、被告は、本件事故前に、具体的に、ポリウレタンを用いた靴底が加水分解によって劣化した事例を知るに至ったことが認められる。しかし、右報告は、東南アジアという、国内と同じ状況下における事例ではなく、また、いずれも、靴底に亀裂が生じたというものに過ぎず、人身事故等の原因になったものとして報告を受けたのではない。また、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、国内の事例でも、昭和六一年以降、加水分解が進行した場合、靴底に亀裂が生じたり、一部剥離することが認められるが、その結果、人身事故が起きたとの報告例はない。

したがって、右事実によって、直ちに被告が、前述のような具体的危険性を予見することが可能になったとか、その結果消費者に右危険を警告したりすべき義務があったということはできない。

三以上によれば、いずれにせよ、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官浅野正樹 裁判官小川浩 裁判官岡部純子)

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